素敵女子への道のり

ひょんなきっかけから素敵女子を目指し始めた女子大生(3ババ)の記録

東京大空襲・戦災資料センター

表題の資料センターに、初めて行ってきました。

東京大空襲・戦災資料センター/アクセス

 

入館料が300円+予約をすれば交通費(謝礼)で大空襲を生き延びた方のお話が聞けます。

 

ゼミの企画で行き、お話を聞く機会に恵まれましたので、

ここにざざっと印象に残ってることを覚え書き、忘れないように。

 

 東京大空襲があったのは、ハルさん(ここだけでの便宜上の仮名)が8歳で国民学校2年生だったころ。ハルさん一家(両親・中学生の兄・5歳の妹)は、現在の亀戸駅のすぐそばに住んでいた。

大空襲前日の3月9日は珍しく空襲がなく、ハルさんは、久々に疎開先から卒業式のために東京に帰ってきていた上級生のお友達と夕方まで遊んでいたそう。

 東京大空襲で特に多くの死者数を出したのは、隅田川と江戸川に挟まれた黄色で囲ったあたりの地域。

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軍需産業の下請け町工場が密集していたため狙われた、ということらしいです。

(ごめんなさい、もう眠いのでハルさんのストーリーは後日追記で!)

 

 以下、私が感じたことのメモ

  • 自分が深い当事者であればあるほど、その体験や経験について冷静に語ることは困難である→その事実は広まらないor歪んだ形で広まる
  • 人は簡単に洗脳されてしまう生き物
  • 家族を愛する心はプレシャス
  • 戦争について体験をもとに語れる世代はそろそろこの世から居なくなってしまう→じゃあ私たちは、どうやってこれから学んでいけばいいの?

 

ついでに、こういう場所にも昨日は行ってきました。

遊就館

yusyukan.yasukuni.jp

批判的な視点も持ちながら、展示をじっくり観ることをお勧めします。

新たな気づきに沢山出会える

 

・女たちの戦争と平和資料館

wam-peace.org

  • 1997年時点では7つの教科書に記載されていた「慰安婦」という用語が、2016年時点にはたったの1つの教科書のみでの記載になっている
  • 慰安婦はどこの国にもあった。→だから戦争(有事)の時には当たり前の制度であり、仕方がない。先に記したような見解があるけどそれって正しいの?実際に慰安婦をしていた女性の人権は?